この話は不定期連載・思いつくまま更新します。
全体的に短い話が細かく繋がる感じになりそうです。
ラストどうするかも決めていませんし、完結するかすら分かりません。
さらに最悪な事に、強姦(直接的な描写はなし)あり。兄最低です。
(「灯火」とは別話です。が、別バージョンと言ってもいいかも)
その点をご了承頂けた方のみ、お読み頂けたらと思います。






















見上げてくる顔は信じれないとでも言っているよう。

見開いたまま涙も滲まない目。拒否の言葉も浮かばない唇。

弟にとってその夜は、悪夢以外のなにものでもなかっただろう。

実の兄に無理矢理に抱かれるなんて現実は。









体を取り戻してアルフォンスも日常生活を何不自由なく過ごせるようになった頃。

弟の反対を押し切り、オレは自ら望んで軍に正式に入隊した。

それまでの稼ぎを考えると、国家錬金術師を辞めてもよかった。むしろ昔はそうするつもりだった。

それなのに敢えて入隊したのは、そうする必要があったからだ。

国家錬金術師の資格を返上すれば、きっと日がな一日家で錬金術の研究をするだけの日々になる。

もちろんそれはオレも弟も望んでいたはずの未来だった。二人でまた穏やかに暮らそうと、そう願っていた。

だけど今のオレは違う。それを望んでいないわけじゃない。

アルフォンスと過ごす時間が増える事は、喜びでもあり、苦痛でもあった。



相変わらず無垢な信頼を寄せてくる弟。家族としての愛情を惜しみなく表す弟。

本来ならただ愛おしいはずのそれが、今のオレにとっては何よりの拷問だった。

弟が鋼鉄の体だった頃はまだ自分の気持ちを抑えられた。自覚もないままに、当然の事として。

だけど5年振りに温かな体に触れた瞬間、どこかに罅が入ってしまったのかもしれない。

罅は日増しに大きくなっていく。完全に壊れた瞬間、どんな事が起こるのか想像もしたくない。

だから自らを忙殺する必要があったのだ。手っ取り早いのは入隊する事だった。

仕事に追われていれば当然弟といる時間は減る。

それを弟ー、アルフォンスが寂しがっている事には気付いていたが。

何よりその弟の為だと自分に言い聞かせて、オレは忙しさで自分を誤魔化し続けていた。





そうする内に体が回復したアルフォンスも軍の医療研究所へと入所した。

軍関係の仕事なんてと反対したが、自分はどうなんだと思えば反論は出来ない。

幸い国家錬金術師の資格を取ったわけではなかったから、戦争に駆り出される心配もないだろう。

やりたい仕事を見つけ、アルフォンスは生き生きとしていた。

適度な距離感を保ったまま見守っていければと、本当に思っていたのだ。その頃は。





表面上穏やかに過ぎているようにみえた二人の日常。本当はそうじゃなかった。

どうしてこんなにアルフォンスを好きになった。どうして諦められない。

たった一人の弟なのに。いや、たった一人の弟だからこそなのか。

同じ家にいても、仕事で離れていても。お互い忙しくて暫く会えない間も。ただ一人の事ばかり考える。

押さえきれない想いのまま、どん欲に欲しいと、今にも叫んでしまいそうだ。


このままじゃいけない。きっともう限界なんてすぐそこまできている。

今のオレの望みはアルフォンスを手に入れる事。心も、その体も。全てが欲しい。

そんなオレが限界を超えた時何をやらかすかなんて、そんなの凶行以外のなにものでもない。

そうなる前に離れようと思った。最後の理性がまだある内に、アルフォンスから離れるべきだ。

だからオレはロイに異動願いを出した。

最初は色々と聞いてきた中将だったが、最近のオレの様子に何かを感づいていたのだろう。

最終的にはオレの希望を受け入れ、年明け早々北方司令部への異動が決まった。

国内は安定し他国との国交も回復してきたが、まだ北の境界線地帯は治安が不安定だ。

国家錬金術師でもある将校を増員させる必要があるのは、北くらいしかなかったのだろう。

あの地域なら一人でも腕の立つ人間が欲しい所だろうから。

それでも行くのか、と一度だけ中将に聞かれたが、オレは望むところだと答えた。

そんな緊迫した所に行けば、他の事なんて考える余裕はなくなるはずだ。

この、弟の事ばかり考えてしまう馬鹿な頭も、少しは冷えてくれるかもしれない。

アルフォンスから離れれば、ようやく弟の幸せを願えるただの兄になれるかもしれない。

そう思う事が、その時のオレの精一杯だった。

H18.8.5


2

反対されるのが分かっていたので、アルフォンスにはギリギリまで黙っていることにした。

北には最低限必要な物だけ送ればいい。どうせ本以外には大して荷物もないし、向こうでも手に入るものばかりだ。

元々アルフォンスとは休みが重なる事は滅多に無かったので、彼が仕事で家にいない内に荷造りする事は簡単だった。

そうして準備も着々と調い、いつでも北へ向かえるようになった夜、引継を終えへとへとになって帰ったオレを出迎えたのは。

見たこともないような強張った顔をした弟だった。


「アルフォンス…?」

声をかけたオレを無視して腕を掴まれる。そのまま居間へと連れていかれた。。

いつもとは明らかに様子が違う弟を訝しげに思いつつ、促されるままソファに座る。


「兄さん、どういう事なんだよ。」

開口一番弟が言った言葉と非難するような眼差しに、オレは全てが知られている事を知った。

しかし弟には部屋に入らないように言いつけ、荷物の運び出しは全て弟の留守中に済ませている。

何故分かったのだろうと思いつつ、どうせ今日話すつもりだったのだからと開き直った。


「いつ知ったんだ?」

「今日だよ。北方司令部の宿舎の管理人から電話が来た。荷物は無事届きましたから伝えて下さいって。」

オレは僅かに舌打ちした。そんな連絡、中央司令部経由でするよう言ってあったのに。

出来ればオレの口からちゃんと最初から説明したかった。…しかし悪いのは言い辛くて先延ばしにしていたオレだ。

話すのが遅くなれば成る程、人伝に知られてしまう可能性なんて高かったのに。


「それなら大体察しはついてるだろ。オレは北方司令部勤務になった。」

平然と話すオレにかえってカッとしたのか、アルフォンスが立ち上がる。


「いつから!いつ、そんな事決まったんだ!!」

「…正式に決まったのは2ヶ月前だな。」

オレの言葉にアルフォンスが一瞬棒立ちになり、呆然となった。


「そ…んな前から…。それなのに、ボクに何も言ってくれなかったの…?」

呆然としながら、弟の目は傷ついたような色を宿していた。その事に胸が一瞬締め付けられる。

決してそんな顔をさせるために、辛い決心をしたわけじゃなかったのに。

願っていたのはただ、お前の幸せだったはずだ。


「この家はお前一人には広すぎるかもしれないな。必要だと思ったら処分して移ってもいいぞ。」

「移ってもいい…?どうしてそんな事簡単に言えるんだ。あんなに辛い旅を終えて、やっと手に入れた二人の家だろ!?」

「だったら人に貸してもいいさ。お前の良いようにしてくれて構わないから。」

「そんな…。兄さんにとってこの家はその程度の物だったの…?この家で二人で暮らせる事を喜んでたのは、ボクだけだったのかよ…!」

顔を手で多い、ソファに踞ってしまった弟にそんな事はないのだと言いたかった。

お前の体を取り戻す事が出来た時、少しずつ動けるようになった時。そのひとつひとつの何でもない仕草がどれほど愛おしかったか。

そしてこの家で元のように二人で暮らせる事が、オレにとってどれだけ嬉びだったのか。

望むことなんてそれ以上ないと思っていた。幸せすぎて恐いくらいだったのに。

この幸せを壊してしまったのは、それ以上を望んでしまった、全てはオレのせいだ。


「どうして今まで何も話してくれなかったんだ。そんな必要すらないと思った?兄さんにとって、ボクは…。」

そんなに必要のない人間だったの…?そう言って俯いていた顔を上げたアルフォンスは、泣いてはいなかったが泣くのを堪えているようだった。

必要のない人間?そうだったらどんなに楽だったろう。きっと傷つける事も何も恐れなくてすんだ。

こんなに全ての感情を締められて悩む事も、全てを欲しいと望む事も。手に入れることすら躊躇わなかったはずだ。

オレにとって唯一、大切でかけがえのない存在だからこそ、ーこんなにも惹かれてやまないのに。

今こうして心細そうに弱っているお前を見て、心の奥で歓喜してしまうような最低の兄なのに。

お前が傷つく必要なんてないんだと言ってしまいたかった。だがその理由を話すわけにはいかない。


「準備は終わってるから…、2・3日中には北へ行く。着いたら連絡するから。」

そう言って部屋に戻ろうとしたオレを、立ち上がった弟が引き留めた。


「兄さんは…、本当はボクから離れたかったの?ボクはずっと、一緒にいられると思ってた。いつかは離れても、今はまだって…。」

その瞬間、一度だけ。堪えていたアルフォンスの目から涙が一滴零れて流れる。

駄目だと思った。ギリギリのラインで保っていた家族として兄としての理性が、その涙と共に流れてしまう。

愛しい、愛してる。お前が好きなんだ。どうしようもない…!


「兄さ…!?」

何も言わず、目の前の弟を思いっきり抱き締める。

その体温を腕の中に感じた瞬間、全ての感情から枷が外れた。

欲しかったんだ、ずっと。この存在だけがいつだってオレの全てだった。

理屈も理由もなく、ただ愛してるのだと心が叫んでいる。それが免罪符にならないことなんて知ってはいたけど。

溢れだした感情と狂いだした衝動のまま、その夜オレは弟の心と体を蹂躙した。

H18.8.9


3

呆然と抵抗すら忘れて兄に抱かれた夜が明ける。目を覚ましたボクは部屋に一人だった。

自分のベッドに寝かせられていた体は、綺麗に清められていた。

ただあちこちに残る痛みだけが、昨夜の事をまざまざと思い出させる。ー夢ではなかったのだと。

自覚した瞬間、勝手に涙が溢れてきた。

それが何に対しての涙なのかはボクにも分からなかった。

突然受けた暴力じみた行為への恐れだったのか。実の兄に抱かれたという嫌悪なのか。それとももっと別の感情だったのか。

こんな風に静かに泣いたことなど今までなくて。ただ、それを止めようという気にすらならない。

よくこんなにも涙が出るものだと自分でも呆れた頃、玄関先から物音が聞こえた。


「アル、入るわよー」と響いてきた声は、隣の家のマリアのものだ。

3人の子供を持つマリアは、兄弟二人だけで暮らすボクらを気にかけてくれていて、よく食事にも招待してくれた。

家族ぐるみの付き合いの彼女が来るのは珍しくないが、玄関に鍵は掛かっていなかったのだろうか。

不思議に思いつつ返事をする気力もなかった。すると足音は真っ直ぐこの部屋に向かってくる。

扉を軽くノックする音。現れたマリアは泣いているボクを見て驚いていた。


「まあアル、そんなに具合が悪かったの?ごめんなさいね、もっと早くに来れば良かったわ。」

食事を用意してきたのだけど、食べられそうかしら、とマリアはボクを支えて体を起こしてくれた。

どうして…?と訊ねるボクにマリアが微笑む。


「エドが出掛けに来てね。アルの具合が悪いけど仕事に行かないといけないから、後で様子を見に行って欲しいって頼まれたの。」

その時渡されたという鍵を見せられて、ボクは兄がこのまま戻らないつもりなのだと悟った。

行ってしまう。そしてもう、ここには帰ってこない。

その事が辛かった。あちこち軋んで痛む体より、もう以前のボク達には戻れない事が悲しかった。

また涙が知らずに溢れ出す。マリアが驚いてボクの名を呼び、ハンカチで涙を拭ってくれる。

その優しい感触に、ボクはただ静かに泣き続けた。










マリアに介抱してもらって、ようやく夕方頃動けるようになったボクは、軍に電話をしてみた。

すると案の定、「エルリック中佐はご挨拶にだけ来られて、昼頃北方司令部に立たれたそうです。」との返事。

そして改めて一人になった家で、これからどうすべきかを考える。

経験がないから多少疎い自覚のあるボクでも、兄のあの時の行為がボクを嫌っての行為ではない事は解る。

憎くて傷つけるつもりでやった事なら、ボクを抱きながらあんなに辛そうな顔はしない。

あんなに切なげにボクの名を呼んだりしない。

ボクは気付かなかったけど、兄さんはボクをー、好きなんだろう。弟としてではなく。

それはいつからの想いだったのか。体を取り戻して、こうして暮らせるようになってから?それとももっと前?

あんな風に追い詰められる程長い間。一人で苦しんできたのだろうか。

そこまで考えて、不思議と兄を嫌悪する気持ちがない自分に気付く。


普通こういう目に合った側って、相手を殺してやりたいくらいに思うんじゃないだろうか。

それともそれは相手が赤の他人だった場合で、家族だった時は違うのかな。

それとも今兄さんが目の前にいないからそう思わないだけで、会ったら憎いとか、殺したいとか思うのかな。

兄さんの事をボクが、そんな風に思うのだろうか。それくらいだったらこのまま、会えなくなった方が良いのかもしれない。

そう考えた時急に息苦しくなった気がして、思わずシャツの胸元を掴んだ。


モヤモヤと腹の底から湧き上がってくるような不快感を感じる。口の中が渇いたような気がして、ボクはキッチンへと向かった。

コップに注いだ水を勢いよく飲み干す。少し気分が良くなり、息をついた。


このまま会わないって、一生?もう二度と兄さんと会わずに、今度の事をうやむやにする?

その方が良いって本当に思うの?ー忘れる事なんて出来ないくせに。


自問自答しても、頭の中は混乱していて答えが纏まらない。

だけど兄さんはいなくなった。準備は調っていたとはいっても、北へは2〜3日中に行くって言ってたのに。

きっと会わせる顔がないって思ったんだろうけど。…それじゃ駄目なんだ、兄さん。

ボクに殴られようと罵られようと、兄さんはボクが目覚めるまでここにいるべきだった。

逃げちゃいけなかったんだ。自分のした事から。だってこのままじゃ、ボクらは前に進めない。ボクはどこへも動けない。

兄さんを憎む事も、許す事も。どちらも選べない。うやむやにだなんて納得いかない。


今までの関係は壊れてしまった。もう二度と戻れない。

ならば新しい関係を作らなくては。それが例えボクが兄さんを憎むようになる関係だとしても。

そう思った時、まるで目の前から霧が晴れたみたいにボクの思考がクリアになった。


ー北へ行こう。そしてちゃんと兄と向き合って、あの時の気持ちとか、今までの想いとか全て聞いて。

そうすれば兄さんを許せるのか、今は解らない自分の気持ちもはっきりするはず。

ボク達はもっと話をするべきだったんだ。そしてボクはもっと兄さんを知るべきだ。それは今からでも遅くはない。



腹は決まった。後は行動に移すのみ。

アルフォンスはその為の手段を考え始めた。


H18.8.15


久しぶりに見たアルフォンスの、まるで別人のような表情。

時折兄と衝突する事はあったけど、それすら幸せそうだったから。

体を取り戻して以来、彼はいつも楽しそうだった。だから彼のこんなに固い表情というのは初めて見た事になる。


「お久しぶりです。」

耳に優しい柔らかな声も今日は固い。同じ人間の声だというのに、まるで別人のようだった。

それは鋼の錬金術師が北方司令部へ旅立って3日後の事。





「国家錬金術師の試験を受けたいと思っています。」

その言葉に少なからず驚く。その事はすでに兄弟の中で決着のついた事だと思っていたからだ。

アルフォンスは医局に入り、錬金術を応用した医術開発をしていた。彼自身、その研究で充実した仕事をしていたはずだ。


「君の今の仕事は国家資格は特に必要ないだろう。急に試験を受けるという意図が分からないが。」

「医局は辞めます。資格取得と同時に軍に入るつもりです。出来れば貴方の配下にして頂きたい。」

大体予想通りの答えが返ってきてロイは顎をさすった。


「それは願ったりだが。私の配下、ではなく彼のではないのか?」

含みを持たせて言うと、アルフォンスが僅かに口の端を上げる。少し皮肉気な笑いのような。彼らしくないといえた。


「同じ事でしょう。お願い出来ますか。」

「こちらに否はないよ。優秀な国家錬金術師が増えるのは望ましい事だ。元々誘っていたのは私の方だからね。」

確かにアルフォンスが配下に加わる事は喜ぶべき事だった。しかしこの状況はー。

危険な任地に勤務する事になった兄を心配して、という様子ではない。

むしろ今から殺しに行くと言われた方が納得出来そうなこの殺伐とした固い雰囲気はなんだ。二人に何があった?

打ち明けられない想いに追い詰められていたエドワード。別人のようになったアルフォンス。

最愛の弟を傷つけたくないと離れようとしていた彼の思いはー。寸前で間に合わなかったというのだろうか。


「…兄が憎いか?」

踏み込んではいけない部分だという事は分かっていたが、どうしても聞かずにはいられなかった。

兄弟を多少なりとも間近で見てきて、兄の葛藤を知っていた身としては。そして二人の絆を知るものとしては。

私の言葉にアルフォンスの顔から表情が消えた。一切の感情が見えない。その眼差しだけが私を真っ直ぐ見ている。

アルフォンスは私の言葉を噛み締めるように考えているようだった。やがてゆっくりと口を開く。


「貴方には隠し事が出来ませんね。」

「君がじゃなくて鋼のがだがね。あれはまだ未熟だからな。」

そう言うとアルフォンスが笑った。強張ってはいたが、先程よりはよっぽど彼らしい笑みで。


「自分でも分からないんです。兄さんを憎んでいるのか。追い掛けようとしているのは、会いたいからなのかそうじゃないのか。」

少し目を伏せ、目線を逸らしアルフォンスは自分と向き合うかのように話す。


「あんなに近くにいて、あんなにずっと傍にいて。ボクは兄さんを誰よりも理解していたつもりだった。
でもつもりはつもりでしかなかったんですね。結局ボクが一番、兄を分かってはいなかったんでしょう。」

一瞬、キュッと口元を引き締めるアルフォンス。それは悔しそうな表情に見えた。


「兄の気持ちに気付かず、考えもせず。今回ボクの身に起こった事は、ボク自身にもきっと一因があるはずです。」

「それは君の責任じゃないだろう。気付けという方が無理な話だ。」

「そうかも知れません。でもボクは兄が一人苦しみ続けた間、無邪気に兄に接してきた。そうして少しずつ兄さんを追い詰めたんだ。」

その言葉を否定する気はロイにはなかった。想う相手から寄せられる無垢な信頼は、喜びでもあり辛苦でもある。

勝手に追い詰められたのだろうとエドワードを責めるのは酷だし、だからといってアルフォンスが責任を感じる事ではない。

しかしそれが真実の一部である事も間違いではないのだ。


「それでも、兄の行為を無条件に許す気はありません。だけど憎むにしろ許すにしろ、今のままじゃボクはどちらにも進めない。
 だから、会いに行きます。全てはその後に決めればいい。」

きっぱりと言ったアルフォンスの目に迷いはなかった。


「同じ場所に立って、今までと違う視点から兄を見てみたいんです。」

その言葉を聞き、ロイは僅かにだが安堵していた。

彼は気付いていないのかもしれないが、ただ会いに行くのではなく傍に行こうとしている時点で、きっと答えは決まっている。

自分の気持ちが分からなくて確認するにも、多少なりとも憎しみが勝る相手なら会うだけに留めようとするはずだ。

遣り甲斐を感じていた仕事を辞めてまで近づこうと思う気持ち。理解しようとする想い。

それは憎しみを抱いている人間に対してではありえない。それならばきっと、この二人は大丈夫だろうとロイは思った。

全てにけりをつけるには、時間はかかるかもしれない。それでもいつか、と密かに願う。

エドワードがアルフォンスに対してした事は、本来決して許されることじゃないだろう。

どんなに彼が辛い思いをしていたとしても関係ない。結果、一番傷つけたくない人を傷つけた。

それが彼にとって一番の責め苦でも。

それを最終的に彼を断罪し許せるのはアルフォンスただ一人だ。


「君の思うようにやればいい。協力は惜しまん。」

そう言った私を見たアルフォンスの、少しだけ辛そうな笑みを見て。

北へ旅立っていった自分の部下に、心の中で一度だけ。馬鹿者めと呟いた。

H18.8.28



新しく北へと配属になる人間の名が書き連ねてある名簿。

さして感慨もなく見ていたオレの目に、ひとつの見慣れた名が飛び込んできた。


【アルフォンス・エルリック 階級少佐 国家錬金術師資格保有】


よくある名前じゃない。これが同姓同名の他人とは思えない。

沸騰した頭のまま、直通回線でロイに連絡を入れた。返ってきたのは冷静な言葉。

『優秀な人材を立て続けに北にやるのは少し惜しいが、本人のたっての希望だから仕方ない』

文句を言うオレに、ロイの鋭い言葉が突き刺さる。

『君に何を言う資格がある?あれを置いて、逃げ出した君に』

その言葉で冷水を浴びせられたように頭が冷えた。


こいつは全てを知っている。アルから話したとは思えないが、中央にいた時、オレの葛藤に気付いてたヤツだ。

その後軍に入ると言い出したアルの様子から、察したとしてもおかしくはない。

逃げ出した。確かにその通りだった。あんな事をしておいて、オレはアルに謝りもせず北へと逃げた。

顔を合わせる資格がないだなんて、都合のいい勝手な言い訳だ。

混乱したままのオレは、誰もいない1人の部屋で、弟の名前が記載された紙をただ見ている事しかできなかった。











その扉をノックするのは、ほんの少しだけ躊躇った。一度振り上げた手を降ろしかけ、意を決して2回叩く。


「…どうぞ。」

聞こえてきた声は間違えようもなく兄のものだった。

あれから半年が過ぎた。それが長かったのか短かったのか、ボクには分からない。

ただ国家錬金術師の資格はすぐに取れたとはいえ、それから直ちに入隊し、ここに来ることができたのは中将のおかげだ。

色んな人に我が侭を言って、お世話になった医局を急に退職してまでここに来た。

もう一度会う事を選んだのは誰でもない自分自身だ。ここで躊躇っていてどうする。

ギュッと拳を握り締め、大きく息を吸い込んで失礼しますと声をかけ、重そうな扉を開けた。

部屋の中にいたのはただ1人。半年振りに会う兄、エドワード・エルリックだけだった。

その顔を見た瞬間芽生えた衝動に動揺しつつ、それを隠すように敬礼する。


「本日付けで北方司令部配属となりました、アルフォンス・エルリックです。」

声が震えそうになるのは辛うじて堪えられた。兄の視線を感じて汗が背中を伝う。

エドワードは一度だけ小さく息を吐き、重い口を開いた。


「遠路ご苦労だった。マスタング中将の指示により、お前はオレ直属の部下になる。
 少佐位の者が中佐の補佐とは異例だがな。
 今日は案内役を用意してるから、指令部内を見て回るといい。実質的な勤務は明日からだ。」

今回アルフォンスは表向きマスタング中将の部下のまま、エドワードの補佐役になっている。

それもアルフォンスが望んだことだ。

了解しましたと頷くアルフォンス。それを見てエドワードは内線ボタンに手を伸ばす。そして弟に目線を戻した。


「アルフォンス。」

それまでとは違う響きで呼ばれて、アルフォンスの体がピクリと揺れる。それを見て少し目を伏せるエドワード。


「今夜7時、駅隣のノースホテルのラウンジに来てくれ。嫌なら無視してくれて構わない。」

「兄さ…。」

呼びかけようとしたアルフォンスを遮るように、扉がノックされる。


「お呼びでしょうか。」

入ってきたのはまだ若い、肩の階級章を見ると少尉だろうか。やや赤みがかった金の髪にブラウンの目をした青年だった。


「ブロディ少尉、こいつがアルフォンス・エルリック少佐だ。今日の所は他のヤツへの顔見せと、司令部の案内を頼む。」

「承知しました。エルリック少佐、リチャード・ブロディ少尉です。よろしくお願い致します。」

「アルフォンス・エルリック少佐です。こちらこそよろしく。」

差し出された手を握り挨拶をする。にこりと笑ったその笑顔の思い掛けない人懐こさに、ふと肩の力が抜けた。


「それでは早速参りましょうか。今うちのメンバーは射撃場にいますんで、呼び寄せましょう。」

「みんなが揃ってるならかえって好都合だ。呼び寄せるまでもないよ。まずはそこから案内してもらえる?」

「それで宜しいんですか?それじゃ射撃場は一番外れにありますので、施設内の事は戻り道で色々ご説明しますね。」

促されて歩き出したアルフォンスは、一瞬だけ横目で兄を見た。今まで見たことのないような、固い表情をしている。

声を掛ける事も出来ずに、アルフォンスはその部屋を後にした。

軍服の胸元をギュッと握り締める。何だか息が苦しい。


「少尉。すまないけど顔を洗いたいんだ。トイレはどこかな?」

「トイレならそこの角を曲がってすぐにありますよ。じゃあ自分はここでお待ちしてます。」

「ありがとう。すぐ戻るから。」

後ろ手に少尉に軽く手を振って、角を曲がると早走りで駆け込んだ。


「ハ…ッ。」

扉を背に、ずるずるとその場に座り込む。くしゃりと音を立てて髪を鷲掴みにした。

あれからまだ半年しか経っていない。久しぶりに見た兄。

その顔を見た瞬間、アルフォンスの胸に広がった感情はー。紛れもなく懐かしさであり、思慕であった。

胸が苦しくなるくらいに、会えた事を嬉しいと思ってしまった。


「馬鹿だ、ボクは。」

憎むためにここまで来た訳じゃない。どうしたら良いのか決める為に来たのだ。

決して憎みたいわけじゃない。元には戻れなくても、少しずつ許していけたら、そう思った気持ちに嘘はない。だけど。

こんなにも簡単に、許してしまいそうになるなんて。



顔を見た瞬間、全てを忘れて抱き付きたくなってしまった。

たった半年会えなかっただけだ。なのにこんなにも胸が熱くなる。こんなに心は歓喜する。

それでも傍にはいけなかった。心がどれほど望んでいても、体は言う事を聞かず、足は石のように固まって。

ボクの体は恐いと訴えていた。目の前の人の温もりを切望する心と、恐怖に竦む体。

どちらがボクの中の真実なんだろう。触れたいと願う心も、触れる事、触れられる事を恐れる心。

それらはきっとどちらも真実なんだ。


ボクはどうすればいい?いったいどうしたいんだ。


心はすでに兄さんを許している、そんな気がする。

本当は最初から、憎む事も嫌う事もできなかったんだろう。

でもボクの体はあの時の衝撃を忘れてはいない。忘れる事なんてできない。

ー心が、千々に千切れてしまいそうだ。

許したい、触れたい。なのにそうできない。

どうしてこんな風になってしまったのか。どこから釦を掛け違えたのか。

ボクが兄さんの気持ちに気付いていれば。兄さんが気持ちを打ち明けてくれていたら。

仮定の話なんて何の役にも立たないし無意味だって分かっているけど、考えずにはいられない。

もしも打ち明けてくれてたら?急にそんな事話されたって、受け入れられたか分からないくせに。

驚いて酷い言葉で拒絶していたかもしれない。


でもまだボクは何も分かっちゃいない。触れたいと思うのはどういう気持ちからなのか。

今までと同じように兄弟としての気持ちしかないなら、恐怖が薄れたとしても、もう触れちゃいけない。

兄の抱いていた気持ちは違うのだろうから。でも。


…自分の気持ちがわからないよ、兄さん。



鏡に映った自分の情けない顔を見たくなくて、アルフォンスは服の裾が濡れるのも構わず乱暴に顔を洗った。

涼しい風が吹き始めた北方司令部の水は、セントラルとは違いすでにひんやりと冷たくて。

その思い掛けない心地よさに、アルフォンスはようやく少しだけ力を抜いて息をついた。


H18.9.2


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